Taiko-life

和太鼓奏者の日野一輝が、太鼓を中心に色々なことを呟きます。


タイミングって大事ですよね。

それは急に訪れたりするもんです。




僕は夏前からすごく悩み事がありました。
音楽のこと、太鼓のこと、チームのこと、教室のこと…。

そんな時に「アメリカに行きたい」ってふと思ったんですよね。
で、何も考えず速攻でチケットを購入して宿も抑えて、ジャズバーのチケットも取って。


もう1時間以内です(笑)
気持ちが抑えきれなかった。


レッスンも絶対その週は入れないと決め、地方の教室には事務局を通じて、そこはやらない!と伝え、そして行ってきたんです。


以前にも書きましたが、行ってどうなる、ではなくて、今思ったことが大事だと。
先のことを考えても仕方がない。
行った結果を考えても、行っていないのに答えが出るわけない。
でも行かなければ、何も無い。




アメリカには、これまでも行きたいとは思っていたけど、何か踏み込めなかった。

今思うと、その時では無かったのかもしれません。



まあこれは一つの例ですが、こんな風に急に身体が動き出す、叫び出す時って誰しもあると思うんです。


今だ!というタイミングは突然やってきます。
それを逃すと、もう二度と来ないかもしれません。
だから、日々アンテナを張り、どうとでも対応できる様に準備が必要です。



 


フリーランスを勧めるわけではありませんが、会社員というか雇われている状況と違い、自分で全てやらなければなりません。


逆に言うと、やるからこそ結果が出るし、やるからこそ成果が出るし、やるからこそ世界が広がる。


私の場合、18歳〜24歳まで超安定の陸上自衛隊にいました。
毎月給料あります。
ボーナスも年に3回あります。
休みもあります。
何よりも特別職国家公務員なので、何をするにしても信用があります。
しかし、枠から外れるのが難しかった。


で、24歳でそれを辞めて、超不安定のアルバイターになりました。
毎月の決められた給料ありません。
ボーナスありません。
休みは本人次第。
何よりもフリーなので信用もありません。
しかし、枠がないので全て自由。


僕は太鼓で食べていこうと決意したのと、安定なんてクソ喰らえと思っていたので、信用やお金は二の次でした。


辞めたおかげで、自由が増えました。
つまり、自分のやりたいように人生を生きることが出来たんです。


自衛隊が悪いとかではありません。
勤めているときは、誇りに思っていましたし、今でも勤めた6年は誇りに思っています。



ただ、自分の人生はここだけではない。
惰性で生きるのは嫌。
やりたいことをやるのが人生では無いのか。

誰の時間を生きているのか。
人の顔色を伺いながらいるのは、他者の時間を生きているだけ。
自分の時間では無い。
そんなことをして自分の何の得になる?

自分が自分であるためには、ここを出なければならない。
そう考え、フリーになり、そして走りまわれるようにしました。


私の生き方が良いのか悪いのかは人それぞれですが、
せっかく生きているのだから、自分で自分の力で生きたい。



沢山苦しみ、沢山泣いて、沢山喜んで、沢山の人に出会え、沢山の場所にも行けるようになりました。
これらは全て、自分で選んだ道。
与えられたレールではなく、自分で敷いたレール。


これからも、自分のやりたい様に、生きたいなと。




 

自衛隊に入っても家には帰りませんでした。



帰りたくないから。

あまり連絡もしてなかった気がします。




そんなある日、僕は理不尽な上司と殴り合いの喧嘩をしたんです。
その部署に行った時から気になってた人で、言うばっかりで何もしない人でした。
しかも偉そうに。

「なんやねんあいつ」

同期と話したのを覚えてます。

で、ある日堪忍袋のをが切れて爆発!


自衛隊は階級社会。
まあ自衛隊に限らず世間でも下の者が下の者が上に刃向かうなんて、あまり無いんじゃないでしょうか?


でも、僕はその人の理不尽が許せず、呼び出して喧嘩へ。

僕よりもガタイが大きい人なので、力では勝てませんが、まあ色々使ってボコボコに。
もちろん、僕もボコボコにされました(笑)



そのあと、これは男の特権ですかね。
なんか知りませんが仲良くなったんです(笑)




その時、父に電話しました。

父は昔よく喧嘩をしてたみたいでその話を沢山聞いていたんです。
で、この喧嘩は自分的に面白いネタだったのと、僕は元気でやってるってのを伝えたくて電話したんです。


そしたら父は高笑いして
「おー、ええやん!」
って。

父が経験談を語ってくれました。
似たような境遇があった事を知り、なんかこの瞬間、なにか分からないけど、ふと父に対しての距離が少し縮んだ気がしたんです。



それからでしょうか。


社会人になって沢山壁にぶち当たり、その都度アドバイスを貰う為に父に電話している自分がいました。

父というより人生の先輩の声を聞く、という感じでした。



そして数年が過ぎ、
自衛隊を辞めて太鼓で食べて行こうと思う、という事を伝えると

「世の中そんな甘くないけど、やったらええねん」

と、アッサリ(笑)



もちろん反対される訳が無いと思っていたのですが、「やったらええねん」という言葉を聞きたかったんだと思います。



そんな時にふと思ったんです。



父は本当に怖かったのか?



怖いと感じたのは事実ですが、それは例えば大きな声でビックリしたりしただけの事で、本当に恐怖を感じていないのでは?と。


今思うと、怖いという事を勝手に膨らませて、怖い父という像を作り上げていただけなのかも。



もちろん当時は分かりませんが、
でも、自分が年齢を重ねるにつれ、父=嫌い、という図式が壊れ始め、1人の偉大な人生の先輩という目線で見る様になってきたんです。


それから、父の話を聞きたくなったんです。

「お父さんが24歳の時何してた?」
「お父さんが25歳の時何してた?」

自分の誕生日が来る度に聞いてました。



その度に、あーまだまだやなと痛感(笑)


その他、沢山話をしてもらいましたが、最初は何を言っているのか理解出来ませんでした。
言葉は分かります。
でも難しすぎた。



しかし、沢山経験したせいか、最近ようやく話が少し出来るようになってきたという実感が湧いてきました。




でも、もっともっとやらんと勝てん!




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