先日、和歌山での公演の話です。
私の母校で開かれたその公演は、芸術祭と称し、3年に一度外部からのアーティスト等を呼び、生徒に感受性を豊かにしてもらおうと試みたイベントでした。
で、出演は、1部はジャズ。ピアノで有名な田中武久さんとベースの方を招き、そこに父のドラムが加わるという、なんとも贅沢なトリオ。そして、2部は太鼓衆一気。まあこちらはおいときます(笑)
当日、1部のリハの時、私は客席の最前列でその様子を見ていました。何と言っても、凄いメンバーです。ジャンルは違えど、音楽の先輩達ですから、これを見逃さない手はありません!
そしてリハ開始。マーチから入るジャズ版校歌、そして最近の流行曲【千の風に・・・】(名前忘れました!)、さらに渋いアレンジの【荒城の月】、そして、ラストは【スマイル】と、簡単な合わせのみのリハでしたが・・・、ハッキリ言って泣いてしまいました。それは、例えば映画の名シーンとか、誰かの言葉とかの反応ではなく、音が体に入って来た喜びと言いますか、本当の音楽を生で聴いたという感じでした。これが音楽というならば、巷で流れているのや、例えば太鼓界など、音楽ではない!と思いました。
特にピアノの田中さんは、74歳という年齢ながら、その格好のよさに誰もがファンになる事間違いないでしょう!母が「田中さんのピアノを聞いた女性は、目がハートになる」と言っていましたが、まさにその通りです!そしてそれを裏付けるのが、ピアノの音、です。
例えばベースがソロで弾いてる時、そのピアノの音はピアニッシモですが、フォルテッシモの様な感じであり、また凄く優しい音で、見事にベースを目立たせる音を出します。さらに、そこに父のドラムが加わり・・・、もうそこは聖域です。誰も寄れない、誰も邪魔できない、させない、視聴者はいているのですが、まさに3人だけの空間を感じました。もうその言葉には表せない空間に涙したのかもしれません。
また父のソロも、演奏者になってから初めて生で、ステージで聞いたのですが、ワクワクするのです。フレーズとか関係ありません。手数も関係ありません。その雰囲気、その迫力、本番の時など舞台袖で一人体を動かしていました。いや、その音に吊られた感じです。当たり前ですが、太鼓の世界では、こんな音を出す人はいません。
以前父が言っていました。「自分の音、って言葉があるけど、楽器の音すらまともに出せないのに、自分の音と言うのは、無い。だから、音楽というのも成立しないんや」と。
確かにその通りだと思い、また私が目指している所は、まさにそこなのです。難しいフレーズや、肉体美とか、くだらない笑いなど、私にはどうでもいいのです。
本当の太鼓の音を出し、それで音楽をしたい!
私の目指しているのを生で聴け、また涙した日。
これを目指して、進みます!
私の母校で開かれたその公演は、芸術祭と称し、3年に一度外部からのアーティスト等を呼び、生徒に感受性を豊かにしてもらおうと試みたイベントでした。
で、出演は、1部はジャズ。ピアノで有名な田中武久さんとベースの方を招き、そこに父のドラムが加わるという、なんとも贅沢なトリオ。そして、2部は太鼓衆一気。まあこちらはおいときます(笑)
当日、1部のリハの時、私は客席の最前列でその様子を見ていました。何と言っても、凄いメンバーです。ジャンルは違えど、音楽の先輩達ですから、これを見逃さない手はありません!
そしてリハ開始。マーチから入るジャズ版校歌、そして最近の流行曲【千の風に・・・】(名前忘れました!)、さらに渋いアレンジの【荒城の月】、そして、ラストは【スマイル】と、簡単な合わせのみのリハでしたが・・・、ハッキリ言って泣いてしまいました。それは、例えば映画の名シーンとか、誰かの言葉とかの反応ではなく、音が体に入って来た喜びと言いますか、本当の音楽を生で聴いたという感じでした。これが音楽というならば、巷で流れているのや、例えば太鼓界など、音楽ではない!と思いました。
特にピアノの田中さんは、74歳という年齢ながら、その格好のよさに誰もがファンになる事間違いないでしょう!母が「田中さんのピアノを聞いた女性は、目がハートになる」と言っていましたが、まさにその通りです!そしてそれを裏付けるのが、ピアノの音、です。
例えばベースがソロで弾いてる時、そのピアノの音はピアニッシモですが、フォルテッシモの様な感じであり、また凄く優しい音で、見事にベースを目立たせる音を出します。さらに、そこに父のドラムが加わり・・・、もうそこは聖域です。誰も寄れない、誰も邪魔できない、させない、視聴者はいているのですが、まさに3人だけの空間を感じました。もうその言葉には表せない空間に涙したのかもしれません。
また父のソロも、演奏者になってから初めて生で、ステージで聞いたのですが、ワクワクするのです。フレーズとか関係ありません。手数も関係ありません。その雰囲気、その迫力、本番の時など舞台袖で一人体を動かしていました。いや、その音に吊られた感じです。当たり前ですが、太鼓の世界では、こんな音を出す人はいません。
以前父が言っていました。「自分の音、って言葉があるけど、楽器の音すらまともに出せないのに、自分の音と言うのは、無い。だから、音楽というのも成立しないんや」と。
確かにその通りだと思い、また私が目指している所は、まさにそこなのです。難しいフレーズや、肉体美とか、くだらない笑いなど、私にはどうでもいいのです。
本当の太鼓の音を出し、それで音楽をしたい!
私の目指しているのを生で聴け、また涙した日。
これを目指して、進みます!
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