僕が一輝太鼓道(太鼓教室)を立ち上げた時、それはそれはもう超やる気満々でした。

当たり前ですよね。
何か始めるときは、ワクワクドキドキです。



そして、ハッキリいって気張ってました。

「お金と時間を割いてまで来てくれてるんpだから、しっかり教えないと」
「キッチリレベルアップするように導かないと」

など、強く思ってました。


せっかく来たのだから。
太鼓を楽しんでもらいたい!
続けて貰いたい!
あわよくば、自分を良く見せたい!

そう思い、かなり肩の力が入っていたと思います。

だからかもしれませんが、最初は大ゴケ(笑)
興味本位で来られた方もなかなか続かない。
2〜3回来ては辞める。
最終的には1人だけ。

でも、何が悪いのか分からなかったんです。
キッチリ教えてるはず。(結構厳しく)
笑いも取ってた。
しかし、来ない・続かない。
このままやと運営すら難しい(場所を借りるお金すら無い)

もちろん最初から上手く行くとは思ってませんでしたが、原因がその時分からなかったのでかなり落ち込みました(笑)


それが徐々に変わり始めたのが、「留学生への授業の一環で和太鼓体験させてあげて欲しいんです」と呼ばれた時からでした。

日本語もままならない留学生へ、わずか1時間程度で、しかも1回こっきりという条件でどこまで太鼓の良さを伝えれるかなあと試行錯誤してたんです。


その時ふと気付いた事がありました。
僕はどこかに
「僕=教えてる人」と
「あなた=教えられてる人」
という線引きを強く持っているなと。

それが悪い事ではないのですが、よくよく考えたらそれは僕の本心では無いと。
自分自身が楽しくないって気づいたんです、


だからまず、
ちゃんとやらせよう
しっかり教えよう
自分以上の自分を見せよう

というのを、取り払ったんです。

もちろんちゃんと教えますし、しっかりやります。
しかし、「教える人」と「習う人」の上下関係ではなく、限りなく同じ関係に近い状況が僕には合ってるなと。その上で教える。

そのために根底から見直そうと思い、まず自分の中で先生という概念をぶち壊しました。
立場上先生ですが、みんなと対等の位置にいてる先生。
決して固い授業の様なものではなく、どちらかというと遊びの延長線みたいな、ちょっと太鼓が叩けて知っている人、という先生。
それを踏まえて、どうやったら面白いかを徹底的に教室やワークショップの中で実験・検証し、自分の中で本当にやりたい事を作り上げていきました。

そこから現在のスタイルが生まれました。



留学生からは大爆笑。それも毎回です。
「先生という感じはしなかった!」
「気さくで話しも面白かった」
「常に笑っていて、こっちも楽しくなる」
「いつのまにか終わってた。もっとやりたい」
そんなレポートが回数を重ねるごとに増えていき、ついに早稲田や青学の留学生が選ぶ、数ある日本文化授業で、僕の和太鼓ワークショップがダントツ1位に選ばれました。それも何年も。
それが後輩に受け継がれ、先輩からは「日本文化授業受けるなら和太鼓は絶対」という流れまでに発展したんです!


ちゃんとやらなければならないけど、何をちゃんとしなきゃいけないのか。
というポイントを変えるだけで、肩の力がスッと抜けたんです。
今までの気張りも無くなり、教室も楽しくなりました。

少しずつ知名度も上がり、そのおかげで生徒も増えて来だし、みんなに支えられながら、ここまでこれています。
時には「おいおい!友達かよ!」と思う生徒とのやりとりもありますが、全然問題なし。
むしろ、楽しい!




形に囚われず、自分に嘘を付かず自分のやりたい様にやる。
それが一番自分に無理がない。
それに気づいた経験でした。