中学生くらいの頃、自転車で和歌山の紀伊田辺から大阪まで走った。
なぜいく事になったのか詳しくは覚えてないけど、父に「やってみろや」と言われた様な気もする。
とにかく自転車で行くことになっていた。
まずルートを決める。
紀伊田辺というところから目指す河内長野まで行くのだが、今みたいにナビはない。紙の地図だけ。
ルートを自分で探し、一つ一つ拠点を決め、ザックリ距離を出す。
多分200キロくらいだった気がする。
もちろん平坦ではない。途中途中地獄の様な山道が2〜3個あり、それを含めた200キロ。
いきなりこの距離を走るのは体力的に無理なので、慣れるためにまず片道50キロ往復100キロからスタートした。
足はパンパン。しんどいけど止まれば目的地に着かないし帰れないから、ひたすら無心で走った記憶がある。
それを何度か繰り返したが、正直ちょっと嫌な気持ちにもなってきた。
しんどすぎる(笑)
僕は心が弱い。
行きたくないと思い始めていたが、両親は行かせる気満々なので行くしかない。
でも無理かも知れない。
その時、ダメもとで一番仲の良かった友人に声をかけてみた。
「なあ、大阪まで自転車で一緒に行かへん?」
友達と一緒なら行けるかも知れない!!当時の僕が選んだ作戦?だった。
しかし断られると思った。当然だ。距離が遠すぎる。
でもその友人はなんと「ええよ」と、あっさり承諾してくれた。
もう嬉しくて天にも登る気分だったのは今でも覚えている。
「やった!1人じゃない!一緒に行ける人がいてくれた!嬉しい!」
1人で行く勇気がなかった僕は、本当に弱かった。
寂しがりだし、情けないなとも思っていたけど、今はそれどころじゃ無い。
行く事を回避できない状況(笑)をクリアするには、この方法しかなかった。
それから友人T君と2人で特訓スタート。
山道が多いので、足に砂鉄の入ったアンクルウエイト(片足2kg)を購入し巻いて坂道ダッシュを繰り返す。
でもそれも飽きてすぐ止めた。
もういいや、あとは何とかなるやろうと(笑)
当日朝4時。真っ暗の中両親に見送られ僕たちは出発した。
順調にルートを進み、最初の難関の山に突入。でも僕たちは話しながら笑いながら進んだ。
ルート上に決めたポイントの到着予定時間も予め出していたので、それと時計を照らし合わせながら進む。
しかし夕方からスピードダウン。足が動かなくなって来た。T君も顔が歪んでいる。飲料も底をつき始めた。
それでもお互いゲキを飛ばしながら進んだ。「行くで!」って。
そして最後の山道。これを超えないと目的地に着かない。
これが想像以上にきつかった。
途中でT君が自転車を降りた。もう漕げないのだ。僕も降りた。そして・・・座った。
坂が登れない。体が動かない。どうすることも出来ない。
「電話しよか」
河内長野のユースホステルの人に迎えに来てもらう。それが最終手段だった。
しかし、そうは言ったもののなんか悔しかった。多分T君も同じだったかも知れない。
でも動けないのだ。周りは暗くなって来てだんだん寂しくなって来た。
同時にT君を巻き込ませてしまって、本当に申し訳ない気持ちになって泣いていたかも知れない。
「行こや」
T君が言った。
「もうすぐやろ?ここまで来たら気合で行こや」
ほんまにこいつは強いな。どんな行程になるか分からなかったこの自転車旅行も、二つ返事でOKしてくれたし。
「よし!行くか!!へばっても自転車押してでも登るで!」
そして最後の力を振り絞って坂を登った。もうヤケクソだ。真っ暗の中2人で声を掛け合う。
「もうちょいや!」「大丈夫かー!?」「明かり見えて来たぞ!!」
このお互いの声の掛け合いが、どれだけ救われたか。
そしてついにユースホステルに到着。予定より2時間も遅れた。
でも到着した。足ガクガクだったのを見て2人で大笑いした。
本当にT君がいてくれて良かった。僕1人じゃあ完走出来なかったかも知れない。
僕は弱い。
1人で出来ない。
でも誰かと一緒なら出来る。
そんな体験をした中学時代の話でした。
読んでくださり、ありがとうございました。
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