かなり久しぶりの投稿です。
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今日はとある哲学者の言葉が少し引っかかったので、それを考察したいと思います。

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「人が不可能だと言うとき、やりたくないと決めているのだ」

哲学者スピノザの言葉である。

この言葉を読んだとき「ああ、なるほどなあ」と共感したが、「でも、はたしてそうか?」 と同時に疑問も持った。
なので、今日はこの言葉を自分の考えと指導者という立場から共感と疑問の両点を見ていこうと思う。
※この言葉が合っている間違っているかは置いておく。


〜共感〜
僕が共感したのは【本当にやりたければ、出来ないとか無理とか不可能とか、否定的な言葉はよほどでない限り使わない】という持論があるからだ。
ちなみに僕は否定的な言葉(無理・出来ない等)は嫌いなので使われるとイラッとする。
#ごめん
だから、「やってもないのに言うな!」と顔に出したり、時には言ったりしてしまう。
#ごめんやで
しかし、スピノザの言葉を肯定した場合、僕の主張は間違ってはいないがパワハラまがいにも取れるなと思った。
なぜなら本人は、やりたくないから「無理、出来ない」と言っているのだから、そこに「まだやってへんやろ!」と捲し立てるのは筋違いかもしれないなと感じたから。

書きながら思い出したことがある。
以前、教室で指導している時、とある生徒が「そんなの無理無理〜」と言った。
内容は忘れたが、少しだけ難易度を上げたリズムを行う予定だったかもしれない。
それをやろうとした刹那「無理無理〜」と言われ、瞬間イラっと(笑)したが「じゃあ止めよう」と言ったらその生徒は安堵の表情を見せた。
それを今思い出すと、確かにやりたくないから「無理無理」と言っていたんだなと。
なので、自分の基準で線引きしていたので発言者の気持ちを読み取れていなかったんだなと、スピノザの言葉を見て共感したと同時に反省した。



〜否定〜
今度は逆から見てみる。
【やりたくないから不可能という言葉を使ったのではない】という見方だ。
この場合、なぜ不可能と言う言葉を使ったのか?という点だが、大きく分けて2つあると思う。

1つは、気を引かせたいから。
もう1つは、口癖。

気を引かせたいから使っていると言えるのは、「そんなことないよ。さあ一緒にやってみよう」のように、他者からのアプローチを求めているところから来ている。
本当は出来る(かもしれない)んだけれども、「無理かも」と発言することによって周囲の気を引かせて助けてもらいたいという心理が働いていると考えられる。
しかしこれはかなり幼稚な思考なので、「いい大人が使うか?」という疑問が残るが、あり得なくはないなと思った。

次に口癖。
これは本人は気付いていないケースが殆どで、何かにぶち当たると考えもせずすぐに「無理!」「出来ない」と言っているパターンだ。
これは実は1つ目と紐づいていて、「無理」と言ったら誰か助けてくれる、問題を回避出来る、といった体験が過去にあったから、それに味を占めて無意識に使ってる可能性がある。

この場合、自分は何も考えなくても教えてくれるし助けてくれるし、さらに【万が一出来なくてもその自分を曝け出す事がないので他者に恥をかかない】というメリットがある。
そして本人は口癖に気付いていない。
無意識のうちにセーフティーゾーンを作りつつ、周りの助けを得られる位置に立っているのだ。
しかしこの場合、見る人から見ると「考えてからモノを言え」と思われる可能性があるが、それは今は置いておこう。

以上2点がスピノザの言葉が「当てはまらないのかも」と思った動機だ。

まとめると
共感は「本当にやりたくないから無理・できないと言っている」というのを体感したことがある。
疑問は「やれるけど他力を望んで口にしている」というのも目にしたことがある。
実際共感も疑問もどちらも当てはまると思う。

考えは人それぞれだし、正解不正解などないけど、偉大な?哲学者の言葉だが面白そうなので分析してみました!!


最後まで読んでくれてありがとうございました!
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